わたしを離さないで



カズオ イシグロ
わたしを離さないで

昨日も書いたけど、またカズオイシグロの「わたしを離さないで」のこと。昨日のエントリーを書いた時点では、1/3くらいしか読んでなくて、ふと思った自分のことを書いた。昨日の時点では、まだよくわからなかったけど、この本は本当にすごい。

今日は昼に起きてずっとFF3をやってたのだが、気分転換にこの本を読み始めたら、FF3どころじゃなくなった。淡々とした語り口、詳細な描写、絶妙な構成とか色々この作品を語る方法は色々あるだろうけど、そんなことはどうでもいい。とにかくすごいのだ。ネタバレになるから詳しく書くことは控えることにするが少しだけ。

この本では「運命」が大きなテーマの一つだと思うのだが、僕はこの本を読んで時間について考えるようになった。自然界ではニーチェ永劫回帰的な永遠のループが支配している。夜が来れば昼が来て、冬が来れば夏が来る。動植物の生と死もこの一環のなかに埋め込まれている。しかし、人間だけは別だ。唯一人間だけが自己の目覚めから死へという直線的な時間の中に生きている。それは狭い意味での時間という感覚を持っているのは人間だけだからだ(チンパンジーなどの高等動物も実は持っているのかもしれないけど、多くの点で人間のものとは大きく違うことは明らかだと思う)。異論はたくさんあるけど、僕の時間に対する考えの一番の基礎となっているのはこういう考えだ。

現代の先進諸国に生きる多くの人は自分の将来がどういう風になるのか知らない。できることは夢想するだけだ。いつ来るかわからない死へと向かって歩み、人生の意味を探し続ける。しかし、この本に出てくるヘールシャムの人たちは最初から運命が決まっている。人生の意味が決められている。将来についてどんなに思いを巡らせても、彼らがするべきことは決まっている。

しかし、それはそれでいいのかもしれない。最後の時がわかっているからこそ、その時に向かって今を生きることができる。一番辛いのはいつ終わるともわからない悲劇の日々が続くことだ。フランクルは、有名な「夜と霧」で、アウシュビッツで過ごした日々で辛いことは、いつ終わるかわからない状況で、悲惨な日々が続くことだ、と書いている。終わりが見えていれば、終わりに向かって悲惨な日々も耐えることができる。しかし、終わるか終わらないかわからない暫定的な状況がずっと続くことは大きな苦痛で、自ら死を選び時間を止めたくなるのかもしれない。こういう状態では、人間の特権でもある直線的な時間がなくなり、単なる毎日のループによって支配される。もしかすると、少なくない数の現代に生きる人もこういう状況で苦しんでいるのかもしれない。

うーん。言いたいことの半分も書けてないな。カズオイシグロみたいな文章力が欲しいです。