論理と権威

サラリーマン社会には論理を認めない人がいる。
というか、かなり多い。
正確に言うと、論理では動かないという人が多い。

そもそも「人は論理では動かない」という命題はほとんどのケースで真である。だけど、動かないどころか怒り出す人が多いのだ。

こういう人は何で動くかっていうと、非常に単純で「権威」にめっぽう弱い。肩書きや名前、学歴、経験年数などに弱い。偉い人から何か言われれば、正しいかどうかを考えることもない。「偉い人」がいうから「正しい」という明快な論理だ。

逆を言うと、何の権威も持っていない人の意見は全く持って通用しない。論理的に正しいかどうかは全く関係ない。「権威のない人」が言うことは全て間違っている。というわけではないが、自分が知らないことを「権威のない人」が知っていることを絶対に認めない。こんな奴が俺の知らないことを知っているわけがないと思うのだ。

ただ、こういう人は面倒見が非常にいい。後輩や部下が自分になついてくる限りは、進んで色んなことを教えてくれる。もちろん上司には媚びる。媚びるという言い方は正確ではない。心底尊敬するのだ。理由は明快。上司だから。

彼らは物事をゼロベースで考えることができない。前提は既に与えられているもので疑うことはできない。常識は絶対。逆に、自分の知らない「常識」や「普通」、「一般的」には異常なまでの拒否反応を示す。もちろん権威のある人に教えてもらうことや、権威のある本(教科書)などに書いてあることは常識として受け止められる。

こういう人の精神構造は非常に単純だ。まず自尊心が高い。そして自分が否定されることを異常に恐れている。自分の自尊心を満たすものは権威しか知らない。自分より下の者に自分の意見が否定されることは自分の権威を否定されることに繋がる。自分の権威が否定されることは自分のアイデンティティが否定されていると受け止める。よって異常なまでの拒否反応を示す。逆に、自分より上の人の意見を認めることは権威の重要性を再認する効果がある。権威のある人の言うこと聞くことによって、自分の権威の正当性を保とうとする。

こういう人を僕みたいなペーペーの若造が動かそうとすると大変だ。権威を利用して「〜さんが言ってたんですよ」って言うと、そのこと自体は認めるのだが、「なんでお前ごときが知ってるんだ」みたいになり怒り出す。一番いい方法は権威がありそうな人を味方にして、説得してもらうことだ。

なんでこんなことを書いてるかっていうと、別に上司がこういうタイプだっていうわけじゃない。こないだあった客がこういうタイプだったのだ。同じタイプの人がうちの会社にもいて、その人とは非常にソリが合わなかった。
僕があった2人はまだ若い人だったけど、歳を取って自分の権威が増してくるにつれ、そういう風なタイプになっていく人が多い気がする。

文系だけかもしれないけど、ちょっと真面目に勉強した人はクリティカルリーディングの技術が身に付いていると思う。教科書の言うことは絶対じゃなくて、どこか間違っていると思いながら読み進めよ、絶対視するなっていう本の読み方。別に勉強するっていう時だけじゃなくて、普段の仕事とかでも使わなくちゃいけないスキルだと思う。たぶん多くの人は高校まではもちろん大学でも教科書に書いていることは正しいことだって習ってきている。教科書に書いていることを疑ってはいけない。しかし、疑うことをやめた瞬間に、それは科学ではなくなる。疑う余地があるからこそ、科学と呼べるのだ。

人は論理では動かない。感情こそ人を動かす。論理を絶対視するのは間違っている。だけど、権威を絶対視するのはもっと間違っている。なぜなら権威なんてものは記号でしかないのだから。