「女性はダイアモンド」


って某大臣が発言したら、マスコミとか世間の人々はどう反応するかな?


「女性をモノに喩えるなんてけしからん!」


とか


「この発言は、女性は飾り物で、それを身につけ実際に活動するのは男性だ、という意識の表れだ!」


とか。
ないだろうな。ネットウヨクの脳内にしかいない狂信的なフェミニストぐらいしか言わないだろうなって思う。


女性=産む機械発言で気になったのは、「機械」がネガティブイメージを持っているということ。
なんで「機械」もしくは「装置」という言葉にそんなにネガティブなイメージを持っているんだろ。
マルクス主義の影響とかがまだ残ってるのかな?


社会学とかその周辺では、人とか社会を「機械」に喩えることが多い。
グラムシの「イデオロギー装置」しかり、パーソンズの「構造機能主義」しかり。
20世紀の中盤くらいまではマルクス主義の労働者感が強く残っていて、
機械=工場=「労働者の敵」みたいな図式がある程度通用していたんじゃないのかなーって思う。
グラムシはそういうところをうまく使って国家はイデオロギー装置だみたいなこと
言ったんじゃないかなーって想像する*1
この時代のことしらないから、何とも言えないけど。


20世紀も後半にはいると、人間をコンピューターに喩える認知心理学が勢いをもってくる。
批判はたくさんあるだろうけど、人間をコンピューターに喩えることにネガティブイメージを持っている人はそんな多くないんじゃないかな。


「女性は子供を育てるコンピューターである」


って言っても、むしろ女性は頭がいい、たくさん知識を持っているみたいな印象を受ける。


ダイアモンドとかコンピューターの喩えでネガティブイメージを持たれないのだとしたら、
「機械=女性」はけしからん!という考えは、「人間はモノではなく、心を持つ動物だ」的な単純な「こころの問題」に収斂することはできない。もちろん、「生/性」を絶対善とする近代的な人生観の問題に収斂することも出来ない。
やはり、「機械/装置」という言葉自体に宿るネガティブイメージの問題ということになる。


でも、やっぱり何で機械がこんなネガティブイメージを持たれているのか、わからない。
やっぱマルクス主義かな?うーん。なんか不十分な気がする。
「機械=単純なもの→女性」っていうことかな?
でも大抵の機械は人間にはできないことをしているので、「機械=単純」って図式もどうかなー。
機械がおもちゃのように理解されているのかな?うーん。


とりあえず・・・


機械がかわいそうだ。
機械の地位向上を強く進言する!

*1:ドゥルーズ/ガタリの「欲望する機械」は根本的に別問題な気がする。うまく説明できないけど。なぜならほとんど理解していないから。