「ヒューマン2.0」、「フーコーの人間」、「アーレントの人間」


過去2回に渡って引っ張って参りましたが、今回はほんとにヒューマン2.0について書きます。

ヒューマン2.0―web新時代の働き方(かもしれない) (朝日新書)

ヒューマン2.0―web新時代の働き方(かもしれない) (朝日新書)



正直、書評を書くまでもないような、たいした内容の本じゃないです。このエントリを書く理由は、この著者がやっている口コミマーケティング潰しです。アルファブロガーに献本して、書評書いてもらって、ブックマークしてもらって、ってしてんじゃねーよ、って誰かが言ってました。口コミマーケティング潰しのために、わざわざ引っ張りました。


この本の内容ですが、実につまらないです。読み始めて30分で眠りについちゃいました。実話です。それでもトータル1時間半くらいで読み終わりました。内容も薄いです。つまらないブログを間違って読んでしまったような感じです。


本の内容を要約すると、
シリコンバレーには変わってるエリートが住んでいます。お金をたくさん稼いでるけど、色々大変です。でも、そういうのっていいでしょ?そういう所に住んでいる私ってかっこいいでしょ?みんなも私みたいなかっこいい女になってみたら?学歴があって、仕事が大好きなエリートじゃなければ無理だけどね。へへへ。」
って内容です。


このままじゃ、単なる誹謗中傷になってしまうので、ちゃんと批評します。まずタイトルだけど、ヒューマン2.0っていうタイトルは、進化論的な考え方を示しています。シリコンバレーに住んでいる人は(古典的ダーウィニズム的な意味での)「進化」した人だとみなしています。つまり我々、学歴もさほどなく仕事も大してできない人間は遅れていて劣っている存在だと見なされています。意図的にしているかどうかはわからないけど、少なくともそういう印象を与えます。


そもそもWEB2.0っていう言葉(好きではないが)は、WEB1.xからのメジャーバージョンアップという意味です。WEBの世界で認識論的な大きなシフトが起こっていることを表しています。
著者はシリコンバレーに住んでいる人(自分も)が「ヒューマン1.x」からメジャーバージョン「アップ」した人だと主張しています。明らかな選民思想です。彼らがリッチな生活を送れているのは3,000万人を超えるアメリカの貧困層が存在しているからだという事実を完全に無視しています。しかも、そういうリッチな恵まれた人も結構大変なのよって言っています*1


現代のダーウィニズム的な思想(例えば進化心理学)では「進化」という言葉は、一般的な用語でいう「進化」だけではなく、前世代から完全な(突然変異的な)変化があった時に使われます。つまり、たとえ「退化」したとしても「進化」です。そういう非連続的な変化が起こったということが「進化」したといいます。
ヒューマン2.0の主張は明らかな一般的な意味、「進んだ」という意味での「進化」でしかないのですが、仮に広い意味での進化という意味で捉えたとしても、誤りであるとしか言えません。


フーコーが「言葉と物」の最後の方で、人間の終焉を宣言したことは非常に有名です。フーコーは「人間」という概念は近代というエピステーメー(=知の枠組み)によって作られたものであり、終焉が近づいていると書きました*2

言葉と物―人文科学の考古学

言葉と物―人文科学の考古学


現代はポストモダンだと言われています。現代は「ポスト」モダンであって、70年代頃にモダンからの認識論的な断絶があったという主張があります。その一方で、ギデンズらは現代を「ハイモダニティ」、または「ラディカライズド・モダニティ」の時代と見なし、近代からの連続的な変化でしかなく、近代性が過激化していると考えています。


シリコンバレーに住んでいる人が本当にフーコーの言う意味での「人間=ヒューマン」からの、認識論的な非連続の変化があった人たちなのでしょうか。完全にNOです。彼らは単に過激化した資本主義の世界、つまりハイモダニティの世界に住んでいるだけです。そこに非連続な変化はありません。別の場所で、ポストモダンな世界があるかどうかは、わかりませんが、少なくともシリコンバレーのエリート達は近代から全くと言っていいほど、抜けていません。近代の代表的な思想である資本主義にうまくマッチングさせただけの存在です。フーコーの言う「人間」から全然抜けきれていません。


別の角度から考えてみます。ハンナ・アーレントは人間の活動的生活を「労働」、「仕事」、「活動」の3つに分けました。「労働」は生活のために働くこと。つまり奴隷的な職業。「仕事」は世界を作る仕事。職人的な職業。「活動」は公的な状況での活動。政治的な活動などのことを指します。
アーレントは活動をすることこそ、「人間の条件」だと見なします。

人間の条件 (ちくま学芸文庫)

人間の条件 (ちくま学芸文庫)


シリコンバレーのエリート達はどうでしょうか。偉そうなことを言っているけど、「労働」をしている人でしかないです。百歩譲っても「仕事」をしている人です。「活動」をする人ではないです*3
アーレント風に見ると、彼らは人間ですらないです。動物です。日本のオタク達と同じ存在です。ただ金持っているだけです。


アーレントの言うギリシャの「活動する人」は奴隷システムの上で存在していた「人間」です。シリコンバレーの人たちは、貧困層の奴隷「的」な存在の上で、生活している「奴隷」です。ボードリヤールが言うような、「延長させられた死」を生きている存在です。もちろん、彼らが幸せかどうかはわかりません。幸せだと答える人も多いでしょう。でも、貧困層の人たちも幸せだと答える人も多いです。近代とはそういうシステムなのです。


というわけで、ヒューマン2.0というタイトルは、えらく非道な誤りです。彼らは全然2.0じゃないです。ヒューマン2.0である自分はすごいでしょって言ってもらいたいだけの内容です。変な口コミマーケティングはやめましょう。目障りです。

*1:だけど楽しいとも言っています。

*2:本当にこういう意図だったのかどうかは、わかりません。「言葉と物」は難しすぎます。

*3:上の文だけ読むと、活動しているって見えちゃうかもしれないですね。でも、ちゃんと「人間の条件」を読むと違うっていうのがわかると思います。