検索脳は流行る

POLAR BEAR BLOGさんでも書かれていたけど
今日の日経新聞の1面「ネットと文明」は気になった。

いきなりGOOGLEラリー・ペイジの発言
「僕らはグーグルを人間の脳に移植したい」
から始まって、ネットのデータを
うまく検索する能力「検索脳」が流行っている。
だけど、ほんとに大事なのは「気づき力」だよって感じの記事だった。

別にこんな内容の記事なんてどうでもいいんだけど、
「検索脳」ってネーミングはステキすぎる。


検索脳、検索脳、検索脳、検索脳


検索脳、検索脳、検索脳、検索脳


絶対流行る


ゲーム脳の次は検索脳だ!


ちょっと真面目な話をすると、
噂のWEB2.0あたりでは、検索すれば何でもすぐに見つかる世界になるから
今後は「知識」なんか重要じゃなくなる
その代わりに、情報をうまく使う能力、いわば「知恵」が重要になる。
みたいな話を良く聞くけど、ほんとかなって思う。
この日経の記事も検索脳を批判しておきながら、
自分の感性でみつける「気づき力」が重要だみたいな
はぁそうですか、よかったねっていう内容だ。


検索をする能力も、気づく能力も重要だけど、
一番重要なのは教養じゃないかなって最近とみに思います。
教養って何かって言えば、知識なんだよね。つまり記憶。


情報を使う力も、情報に価値があるか判断する力も、
ベースとなるのは教養でしかありえないと思う。
教養がなければ、どんなに検索能力を高めても無意味になると思う。


最近のメディアリテラシーの議論では教養の重要性を忘れてるものばかり。
スチュアート・ホールの有名な論文を持ち出すまでもないけど、
情報の発信側はヘジェモニックな状況に応じて、コード化して発信して、
受信側もヘジェモニックな状況に応じてデコード化して解釈する。
つまり、情報をどう読み取るかはコードとコンテクストに依存する。*1
(読む側の)メディアリテラシーで重要なことは批判的に情報を読み取るってことだけど、
これはホールの言う「交渉的読み」で、これを可能にするのは、教養があってこそなんだよね。
教養がなければ「優先的読み」にしかならない*2
そもそも自分がどういう風なコンテクストにいるのかを知るのって教養だから、
そういう意味でも、メディアリテラシーには教養が重要だ。


最近、みんな専門バカになってきているような感じがするけど
教養も重要だと思いますよ。
大学でも一般教養復活させた方がいいんじゃないですか?
僕にとっては、どうもでいいですけどね。

*1:昔はホールのエンコーディング/デコーディングの邦訳がネット上にあった気がするんだけど、もうないのかな。

*2:知識が偏りすぎちゃえば対抗的読みになるのかな?