ヒューマン2.0を攻撃する理由


ヒューマン2.0―web新時代の働き方(かもしれない) (朝日新書)

ヒューマン2.0―web新時代の働き方(かもしれない) (朝日新書)

またまたしつこくヒューマン2.0ですが。
当然ですが、トラックバックはシカトされたようです。
マーケティングとしては当然です。別にどうでもいいです。


この前に書いた批判記事は、的外れな批判だと言うことは重々承知の上で書いています。
エントリを読んでもらえばわかると思いますが、ほとんどタイトルについてしか批判していません。内容の真偽は無根拠に信用した上でタイトルについて批判しています。


タイトルを批判するのはいくつか理由があります。
第一に、ネタがないところにいいネタが見つかったから。
実はこれが大きかったのですが、これだけではわざわざ書きません。


二番目の理由は、タイトル決定の思慮の浅さです。
批判記事にも書いたとおり「ヒューマン2.0」という単語は選民思想に受け取れます。
人文科学のあらゆる分野で人間とは何か、について議論されてきています*1。そういった議論を何も踏まえずに、私たちはヒューマン2.0だと言ってしまうのは、あまりにも浅はかではないだろうか。哲学なんてしらねーよって思うのかもしれませんが、ブログならともかく、権威のある新書というメディアを用いて、知らず知らずに悪意のあるイデオロギーを撒き散らすのは大きな罪があります。
タイトルが「シリコンバレーの人々」だったら、批判することはなかったと思います。読むことも無かったと思いますが。


僕は新書が好きです。どこかに出かけるときには、小さなバックの中に必ず新書を一冊入れて出かけます*2。「バカの壁」以降、新書のタイトルがインパクト勝負になっているのは嘆かわしいです。「人は見た目が9割」だとか、「ケータイを持ったサル」だとか、内容がない本ほどインパクトだけを重視しています。そういった最近の傾向を破壊していった方が、今後の新書業界にとっていいと思います。


最後の理由は、そのマーケティング手法です。
僕は社会学を専門的に学んできた者というアイデンティティと、マーケティング活動に従事している者というアイデンティティの間で、いつも葛藤しています。マーケティングは消費者を動かすというその性格上、必然的にイデオロギーを伴います。そういったイデオロギー社会学では批判の対象です。広告などを学んでいて、ボードリヤールとかロラン・バルトとか読んだことのある人は、同じような感情を抱いたことがあると思います。
揺らぐアイデンティティの中で、僕は自分なりのマーケティング倫理を持って、仕事に従事しています。やってはいけないこと、やっていいこと、を線引きした上で、マーケティングを行う。このようなマーケティング倫理は、別に社会学をやった人間でなくても必須だと考えます。
ヒューマン2.0は明らかに逸脱しています。
http://www.chikawatanabe.com/blog/2006/12/catfr.html
盛り上がってきた口コミマーケティングを潰しかねないほど、逸脱しています。しかも、哲学的に非常に馬鹿げたタイトルを付けてまで、マーケティングを行っている。こういったものは、きちんと批判しなくてはならないと思います。


僕が批判したところで別にたいしたことないだろうという前提で批判しています。影響があったらごめんなさい。関係者の方々、おそらくブログ検索で毎日毎日ブログ上の記事を監視していると思いますので、このエントリもすぐに見つけられるでしょう。文句があったら言ってください。すぐに記事を削除します。小心者ですので。マーケティングとしては、無視するのが正解だと思いますけど。

*1:生物学や脳神経学などの自然科学の分野でも同様に議論されています。

*2:文庫の時もあるけど。