論理的に語るということ


なんであんな記事がたくさんブックマークされるのかよくわからない。なんでブックマークされたか?っていうのを考えている*1。それで、そのエントリを読み返してみたんだけど、確かにツッコミどころが豊富で、論理的におかしなところもかなりある。そもそも、深夜に思ったことを書き殴っただけなんで、論理的整合性なんて全く考えていなかった。ただ、思いついたことをそのまんま書いただけだった。でも、その「論理的ではないところ」がブクマされた要因の一つではないかと思う*2


僕は「論理」を全く信用していない。たしか、過去のエントリでも論理なんて役に立たないみたいなこと何回か書いたと思う。論理って言葉は多義的だね。はてなキーワードでは

【論理】
〔logic〕
(1)思考の形式・法則。議論や思考を進める道筋・論法。
(2)認識対象の間に存在する脈絡・構造。「歴史の―」
新辞林 三省堂

となっている。僕が信用していない論理は(1)に近いのかな。もっと直接的に言うと、ユークリッド幾何学的論理、すなわち近代的的理性の上での論理だ。


ちまたのデキルモテリーマン養成本みたいなのには、「ビジネスには論理的思考が必須」みたいなことがよく書いてある。そういう本は大抵論理的じゃないんだけど。この「論理」こそ、僕が信用していない論理だ。


もちろん近代的論理は重要だし、役に立つ。科学は全て「論理的」だ。論理的じゃない科学は科学としては全て淘汰されるだろう。でも論理で人は動かすことはできない。


テクストをどう読むかなんて、現在自分がおかれているコードとコンテクストに大きく依存する。結局、いくら論理的に書いたところで、自分の考えと180度違う考えを表明しているテクストを読んだって、こいつバカだくらいにしか考えることは出来ない。それだったら、最初から論理なんて無視して感情に訴えた方が遙かに効果的だ。


このエントリでも言及した、この人の戦略はすごいうまい。↓
子供に聞かれて説明できない国歌を歌わない理由。
前に書いたことと同じこと書くけど、子供という無垢で感情的な存在を利用して持論を展開している。こういう感情に訴える作戦が一番無関心な人に響く。もちろんずるいと言えばずるいけど。


例のエントリの最後に書いた「色々と間違っていると思うんだよな。」っていうのは、こういうことが言いたかったって思い出した。小難しい理論持ち出して、いくら「論理的」に書いたって、別の考えを持った人には全く響かない。それどころか、無関心な人にだって全く響かない。だってそんな小難しいの普通の人は読みたいと思わないもん。普通の人が読みたいのは東京タワーみたいな感傷に浸れるものだ。


東京タワーで思い出した。今の月9じゃなくて、前のスペシャルドラマの時の東京タワー見て、不覚にも泣いてしまった。なんだこれ?アホじゃねーの?って思いながらも泣いてしまった。
なんでこういうよく考えたらくだらない話に泣いたり、面白いって思えるんだろうって思ってちょっと考えてみた。もちろん、感情に訴えているからなんだけど、どうしてそれが可能なんだろうって。それは、構造「しかない」からじゃないだろうか。たしか、大塚英志が柄谷が言ってたことを引用して、日本のアニメは構造しかないから海外でもうける、みたいなこと言ってたような気がする(すいません不確かです)。考えさせるような余計な論理は邪魔なだけだ。プロップの物語論的な構造や、ユングの原型みたいなものこそ、人の感情に強く訴えるんじゃないだろうか。そういう点では近代的論理はあまりにも弱い。論理が神より重要になったのって、人類の歴史を考えたら、つい最近のことだしね。社会が生まれた時からあった物語(神話)の方が響くっていうのは、当然と言えば当然なんだけど。

*1:まだ、考えがまとまっていないので、まとまったら書きます

*2:大きな要因ではないと思うけど