はてなサヨクと希望の時代


どうせこんなブログ誰も読んでないんで、はてなブロガーの悪口書いちゃいます。
なんていうか、はてなサヨクは気持ち悪い。教育基本法改悪反対とか、共謀罪反対とか、ABE ENDとか気持ち悪い。なに本気になってるの?って感じだ。なんか違うんだよな。根本的に。そういう言説にすごい違和感を感じる。
いや、別に主張自体に反対している訳じゃなくて。なんか教育基本法改正とか、安部首相就任とか、おもしろいネタを手に入れてイキイキしている感じがする。なんだか嬉しそうな感じがする。そういうのが何か気持ち悪いんだよね。


こういう感じが今の時代の空気なのかなって思う。80年代は軽薄で虚ろな時代だった。バブルの空気に踊らされて、記号と差異に戯れていた時代だった。
ちなみに僕は80年代の軽薄さがすごい嫌いだ。80年代のレコードや小説は絶対に買うことはない。でも、80年代は新しいものが多く生まれた時代でもあった。ヒップホップ、ハウス、ファミコン、オタクなどなど。90年代へと続き、今でも栄えているサブカルチャーを多く生み出した。


90年代は絶望の時代だった。のかな?あんまり90年代を総括したような本ってないからわかんないけど、僕の個人的な感想は絶望だ。湾岸戦争とそれに続くバブルの崩壊。阪神大震災とオウムの事件。金融破綻など。サブカルチャーも絶望を反映したものが多かった。90年代は80年代に生まれたものが、どんどんと多様化して、島宇宙化していった。島宇宙化されたコアな部分は必ず絶望的だった。岡崎京子フィッシュマンズコーネリアスなど、90年代的と言われるようなものには、必ず絶望がつきまとっている。


この流れが99年頃から変わっていったような気がする。この頃から、「21世紀は心の時代だ」みたいな戯言が本気で叫ばれるようになった。そしてネットバブルがやってきて、若くても金持ちになって「勝ち組」になれるというような空気が生まれてきた。今でも続いているこの空気を一言で呼ぶと「希望」じゃないかと思う。って考えていたら、ちょうどいいタイミングで経団連が「希望の国、日本」っていうアホみたいな経団連ビジョンを出してきた。
でも、この希望は文字通りの単純な希望ではない。何もないところへの希望のようなものだ。ただ虚しいだけの希望。なんの生産も伴わない希望。希望すること自体を目的とした希望。そのような感じだ。
今思えば、2001年の9.11は90年代的な絶望ではなくて、希望の始まりだったように思える。それも無駄な希望への始まり。ネットバブルの希望もすぐにはじけ飛んだ。勝ち組がでたらすぐに負け組も生まれた。そして、「希望」格差が叫ばれるようになった。最近のWEB2.0議論も初期インターネットの理想の繰り返しにしか聞こえない。2ちゃんねるネットウヨクも、はてなサヨクも同じ無意味な希望を持っているようにしか見えない。


だからこそ、はてなサヨクは気持ち悪い。さらに彼らを気持ち悪くしているのは、人文系エリートが多いってことだ。ネットウヨクはニート・フリーター、プラス理系学歴エリートが大半を占めているように思う。いわゆる内閉的なオタクが多い。一方、はてなサヨクはアカデミックエリートが多い。人文科学や社会科学の難しい言説をこねくり回して、ウヨク的な言説を批判している。でもそれって60年代の新左翼がやっていたことと同じなんじゃないのかな。最近、マルチン・ニーメラー氏(修正しました)の以下の引用が(ウヨク側でも)流行っちゃったりしていることが60年代を思い出させる。

ナチス・ドイツ共産党員を殺害した際、私は反対の声を出さなかった、私は、共産党員ではないからだ。その後、ナチスユダヤ人を殺害した際、私も反対の声を出さなかった。何故なら、私はユダヤ人ではないからだ。さらにその後、ナチスカトリック教徒を殺害したときに、私はカトリック教徒ではないから、依然と沈黙を守った。最後に、ナチスが私に向かってきたとき、誰も私のために立ち上がってくれる人は居なかった


唯一違うのは60年代の左翼は実践を伴っていたということだ。彼らは武装して本気で日本を変えようとしていた。今のサヨクは本気じゃないわけではないと思うけど、なんだか違うんだよね。希望すること自体を目的化しているような印象を受ける。やっている本人は本気だろうとは思うんだけど。マルチン・ニーメラー氏(修正しました)を引用して立ち上がれって言ってるんだけど、何か嘘くさい。本気で立ち上がろうとしていない。立ち上がれって言うこと自体を目的化している。


彼らがやっていることは、いない敵をわざわざ作り出しているだけだ。もともと敵なんていなかったのに、自分の希望のために、敵を作り出している。「安部首相は悪だ」、「フェミニストに対するバックラッシュはけしからん」って言うことで、わざわざ敵を作り出している。本当の敵はどこにもいないんじゃないじゃないの?西尾幹二とか、八木秀次みたいなトンデモオッサンが本当に敵になりうるの?


ちなみに、はてな界隈で人気の「非モテ」も同じ構造な気がする。モテは本当に存在するんだろうか。「非モテ」が自分はモテないって言うことで「モテ」や「リア充」を作り出しているんじゃないんだろうか。「非モテ」はモテることへの無意味な希望を抱いているだけなんじゃないだろうか。


本当にウヨクに対抗したいのなら、80年代的な軽薄さを思い出した方がいい。80年代を代表する思想家、浅田彰が言ったような「しらけつつのる、のりつつしらける」的なシニカルな視点の方が効果的なんじゃないのかなって思う。こっちの方がはるかにラディカルだ。なんか今のサヨクは気持ち悪いし、色々と間違っていると思うんだよな。